風が吹き、雲が生まれ、雨が降るのは、それがこの世の祈りだから

何故、波は寄せては返すんだろう。何故、どこからともなく風は吹いてくるんだろう。時々、フッと頭に浮かぶことがある。別に本当のことを説明してほしいわけじゃない。別にそのメカニズムを知りたいなんて思ってるわけじゃない。ただ、ちょっと素敵な夜に、こんなことを考えてみたいだけ。こんな話をしてみたいだけ。そんな気分なんだ。
無性に本が読みたくなり、だいぶ前に借りていたコンセントを読んだ。本を読むのは嫌いではない。むしろ好きな方だ。でも、本を読むのは数年ぶりだ。前に読んだのが何の本だったかすら思い出せない。音楽・映画・本。高校時代のキーワードだった気がする。音楽だけが残った理由は至極明快だ。「やすい」という言葉がいちばん適切だろうか。それと、やはり自分が生きていく上で、何よりも時間と金を割く必要があるものとして判断したからだろう。いや、今日はこんな感じで書くつもりじゃなかった。コンセントについてだ。久々に読んだ本の割には普通におもしろかった。なかなか本に手を出せない理由のひとつとして、本は試読というものができないということがひとつある。読んでみないことにはその本がどういう本なのかわからない。それは当然だとしても、それまでにあまりにも時間が掛かりすぎるということかな。学生ならまだしも、仕事をしてる今となっては、自分に割ける時間が決まってくる。その貴重な時間の中で、できるだけ無駄な時間は使いたくない。ここで言う無駄な時間とは、つまらん映画に費やしてしまった2時間とか、もう読みたくなくなるほどつまらん本を半分ぐらいまで読んでしまった、それまでの時間とか。人生は無駄の積み重ねだと言うけど、人生には、明らかに意味のある無駄とそうでない無駄があると思う。そういう全く持って何も残らない、本当に無駄な時間を使いたくないと思えば思うほど、たかが知れてる日本映画とか、評判だけで判断するしかない本とかには、ますます手が出なくなってしまう。だから、音楽を聴いてしまう。そういう時間を過ごすリスクを負うぐらいなら、またあのレコードを聴き返そう。そう思ってしまう。
ま、これはこれでいいや。コンセントだ。これに出てくる自発性トランスってものにもの凄く興味が湧いたけど、これは著者が勝手に考え出したものなのかな。医学的に証明されてるものかと思ったらそうでもなさそうだし。自分もトランス状態になることはないが、時々あっちの世界に行ってしまうことがある。自分ではそのことを「飛ぶ」と呼んでる。戻ってきた時に、「あ、今飛んだな」みたいな感じで。その間の自分は、他人には抜け殻のように見えるんだろうな。これが面接の時に起こったことがあるもんだから、ちょっと書いてあることに本気で惹かれそうになったけど、所詮は小説の世界の話か。さて、続編の方でも読んでみるかな。