freetempo / a new field touch

Oriental Quaint.

Oriental Quaint.


気色の悪いベース音と中途半端なキック。
タワレコで試聴して買ったみたはいいものの家に帰って冷静に聴いてみると何だかなぁな
よくありがちなパターンに陥りそうな感じの安っちい微妙な英語を操る女性vo.。
ブレイクのところで一気にはじけるのかと思いきや、
「あれ?」ぐらいの感じで素通りしてしまうような
このすかし具合は一体どういうつもりなのか。
ハウスちっくな曲調と浮遊感溢れる女性vo.という
僕のツボを打ち抜くには十分な、とてもとても素敵な組み合わせなのに
全編を通してこの煮え切らない感じは一体何なんだろうか。
期待させるだけさせといて「あれ?終わり?」みたいな。
察するに、要素自体はすごくいいものを持ってきてはいるんだけど、
その使い方が僕の好みとは全く一致しないからなんだろうな。


つまりはフルーツと野菜をヨーグルトで混ぜちゃうような。
せっかくのカリカリのパリパリを全部しめっとさせちゃうような。
材料を見て、もう自分の中ではすごく好みのものができあがってるのに、
実際に出てきたものが「こう使っちゃうか・・・・・」みたいな
自分の思い描いてたものとは全然違うものだった時のあのどんよりとした
今にも雨が降ってきそうでなかなか降ってこないあの曇り空みたいな・・・・。
それでも、それでもやっぱりここまでこみ上げてきた期待は捨てきれずに
「これ使ってんだからやっぱ食ったらうまいんじゃねぇか?」と
目の前にある現実から目を逸らして期待だけを胸に最後まで食べてしまうような。
食べてる途中から気づいてはいるのに。
これはやっぱりこのままなんだと。
それでも、やっぱもう一回食べてみよう。
もう一回チャレンジしてみよう。
もしかしたら、何か変わるかもしれない・・・・・。


これは現実逃避なんだろうか。
本当は知ってるくせに知らないフリをしてるだけなんだろうか。
希望というものを信じてはいけないのだろうか。
信じ続けて信じ続けて信じ続けて、死ぬまで信じ続けることが出来たなら
それはそれで幸せなことなんだろうな。
それで救われるんなら、それに越したことはないんだろう。
その人にとっての現実はそこにあるんだろうから。
自分にとっての現実を決めるのは自分だけでいいと思う。
他人が定義することではないような気がする。
って何の話だ。
要はこの曲を最近よく聴いてますって話だ。